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2023.07.19

アーティスト紹介

golden アーティストインタビュー Vol.5 山本 雄基

目に見える世界を描くという以前に、あらゆる素材や技法を使いながら、奇抜なアイデアや思想を形にしようとする美術の領域に魅力を感じた。

色々な素材、技法やスタイルを実験した結果、大学院を卒業するころには、すでに透明なメディウム層を使用した今の作風が出来上がった。そこから次々とやりたいことが続いているという。そのアイデアや透明メディウムを駆使した美しい作品の源はどこにあるのか。アーティスト 山本雄基さんの魅力に迫りたい。

 

Untitled     2019     170×140cm     アクリル絵具、キャンバス          Photo:Naoki Wagatsuma

 

Untitled     2021     173.2×122.4cm     アクリル絵具、キャンバス          Photo:Naoki Wagatsuma          

 

Untitled(+RCDS)     2022     直径80cm     アクリル絵具、キャンバス          Photo:Naoki Wagatsuma

 

Untitled(+RCDS)     2023     直径80cm     アクリル絵具、キャンバス          Photo:Naoki Wagatsuma

 

板室温泉大黒屋(那須塩原)での個展展示風景、2015年

 

ギャラリー門馬(札幌)での個展展示風景、2022年

 

Powerlong Museum、Under Current展(Powerlong Museum、上海)での展示風景、2022年

 

Q:山本雄基さんの作品といえば、アクリルメディウムの重層構造と円、それらを美しい色彩とともに組み合わせた作品ですが、その作品スタイルはどのようにして生まれたのでしょうか?作品のことも詳しく伺いたいのですが。

Photo:Naoki Wagatsuma

 

透明な層を使い出したのは、元々は周りの先輩作家の影響からです。大竹伸朗の「網膜」シリーズや、シグマー・ポルケ(Sigmar Polke)の透明絵画などの影響が先輩方にあって、こんな質感の絵画もアリなのだ、みたいな驚きがあった。それらを見様見真似で取り入れてみました。後から調べてわかったことですが、フレッド・トマセリ(Fred Tomaselli)とか、ジュリー・メレツ(Julie Mehretu)など、多層絵画の作家も同時代的に注目されていたりもしていて。色々な技法や素材を試したのですが、透明層だけはずっと残り続けたので、この物質感を選択することには何か意味があるはずだと、もっと突き詰めてみることにしました。と同時に、絵画の物質的な魅力に、どういうイメージを与えればいいのかはなかなかわからなくて。具象抽象問わずいろんな作風を試していくうちに、現実の世界にあるものを再現するような具体的なモチーフは自分の表現にはあんまり必要ないなと思って、絵画の抽象性について集中的に学ぶことにしました。そのうちに、色と色の相互作用の多様さや、形と形がどう関係するかを、多層の絵画空間に落とし込もうという表現になっていきました。

それで最低限必要な形を絞っていったら、だんだん円だけの絵画に変化していきました。円はモチーフというか、自分の表現にとって便利な形であって、筆跡のような要素とも言えます。ただ、最初は円を描いていても、何かが足りない、なんか違うなと感じながら試行錯誤していました。ある時に、目に見えるものと見えないものが、自分を取り巻くあらゆる事象で混在していることが面白いなと思って。宇宙の本を読んでいても、ダークマターとかブラックホールとか異質なものがあって、人の認識や常識が通用しない物事も当たり前に存在する、という事実に魅力を感じたりしていました。そういう感覚自体を絵の中に取り入れられないかなと色々やっていたら、マスキングインクで円を描くと、円を侵食する「くり抜きの円」ができて、裏の世界、平行世界みたいな存在が画面に入ってきた気がしました。それに、実体のある円とない円が、物質感は強いのに透明で痕跡を感じにくい層の中で交わることで、二項対立の間を表現できるかもしれないと。

また、絵画の中で起こっている抽象的なことを、自分が現実をどう捉えどう行動するのかということに近づけたいとも思うようになりました。

これで手応えを感じて、それ以降随分長い間、更新を重ね続けている感じです。

Q:山本さんの作品を見ると、いったいどのような工程で制作されているのだろうかと気になるのですが、差し支えない程度に制作工程をお話しいただけませんか?

層の構造については、綿布にジェッソを塗って、下地ができたらいくつか円を描いて、透明のメディウムを厚塗りして、乾いたらその表面を電動ヤスリで少し慣らして、ペインティングナイフで同じメディウムで筆跡を埋めていきます。それを何度か繰り返すと、何ミリかの透明メディウムの平な層になる。厚みは割とコントロール可能です。その後に、次の層の円をまた描いていく。基本はこれの繰り返しです。面倒な作業ですがプロセスはシンプルです。

複雑なのが、各層ごとに、どんな円の設定にするかを考えて描写するプロセスです。不透明な円か、下の層が透けて見える透明色の円か、透けているように見えるけど色のコントロールでそう見せかけている錯視の円か、マスキングインクで描いて他の円を侵食する見えない円か。それらを自分のアナログなセンスのみで決めるのか、Photoshopで試行錯誤して作り込むのか。ここ数年は、プログラマに開発してもらったオリジナルのアプリケーションを使って、円の大きさや数、色や配置を数値の入力と乱数で生成させた上で絵画に応用させたりもしています。少し選択肢を変えるだけで作品の着地点が全く変わるので、作り分けながら、できるだけバリエーションを拡げたいと考えています。

Photo:Naoki Wagatsuma

 

Photo:Naoki Wagatsuma

 

Photo:Naoki Wagatsuma

 

Photo:Naoki Wagatsuma

 

Photo:Naoki Wagatsuma

 

Photo:Naoki Wagatsuma

 

Q:山本さんがアーティストになろうと考えたのはいつ頃ですか?

元々美術家になるという考えは皆無で、大学以前は美術なんてほぼ何も知らなかったです。僕の美術の原体験は、美術作品とか美術館よりも、子供の頃「スーパーマリオブラザーズ」の世界観に夢中になったこととか、高校時代に「新世紀エヴァンゲリオン劇場版 Air/まごころを、君に」や、漫画版「風の谷のナウシカ」などに衝撃を受けて、得体の知れない創作物に強く惹かれる感覚だったと思っていますが、そういう作り手側になろうという考えにも繋がっていませんでした。

どちらかと言えば、ラクして生きられる、スーツを着ない大人になりたいというグータラな欲望が強くて。それに一番近いのが美術の先生かなと思い込んでいたので (笑)、教育大学に進学しました。しかし大学に入って、得体の知れない創作物だらけの美術の世界にのめり込んでしまって、4年では足りないと思い、親に困惑されながら大学院でもう2年研究したいと決めたあたりから、画家になろうと考えはじめました。結果、ラクでは全然ないけれど、こんなに面白い生き方になるとは不思議なものです。

Photo:Naoki Wagatsuma

 

Q:北海道教育大学大学院で美術教育を専攻されましたが、美術の先生を志望されていたのですか?

札幌ではこの大学が美大の代わりという位置付けでしたので、教育大だからと言って美術教師になりたい人ばかりではなくて、特にすぐ上の先輩方というのが、今も芸術の多ジャンルで活躍している方々の固まっている世代だったのです。彼らの作品制作への向き合い方を見て、それまでの自分の人生観が劇的に変わってしまった。ですが先述したように、僕はもともと美術の先生を志望していたので、実際に大学院を出てから2年間は高校の先生をやりながら制作を続けていました。美術部の顧問もやっていて、教え子の数人は大人になった今でも制作を続けているので、活動を見て嬉しさもあります。授業では、どうにかして美術嫌いな生徒を1人でも減らすようなアプローチを考えたり、美術を必要としているような生徒への対応など、やってみるとものすごいやりがいのある仕事で、続けることもできたのですが、よりリスキーな生き方を選択してみたくなってしまいました。ここで安定を手放したら自分はどうなっちゃうのだろうという、不安以上に好奇心が勝ってしまって。せっかく美術の世界に足を踏み入れたわけだし、やるなら20代のうちだと思って、辞めちゃいました。

北海道教育大学大学院修了制作展での展示風景(札幌時計台ギャラリー、札幌)、2007年

 

Q:大学をご卒業されて、ドイツのベルリンに留学されていましたが、その経緯や、ドイツでの活動について伺えますか?

教師を辞めて、夏と冬のボーナスは使わないで取っておいたので150万くらいは貯金があったのかな、確か。それでまずレンタカーを借りて一ヶ月間、日本一周する旅行をしました。北海道という位置の確認というか、自分の活動をこれから続けるにあたって日本がどういうスケールのエリアなのか知りたいと思ったのと、単純に教師時代になかなかできなかった長期の旅行欲が溜まっていたので。そのあと制作と読書漬けの毎日を過ごしていたら10ヶ月くらいで貯金が尽きてしまい、結局アルバイトしながら個展とかコンペとかに挑戦していました。週4~5日の残業なしで収入は月12万程度になり、自宅兼スタジオの家賃が6万円みたいな感じ。築50年くらいのボロボロな木造一軒家で、6畳のひと部屋をスタジオに使っていました。アリやワラジムシ、カツオブシムシやムカデまで発生する家で、不快害虫と金欠に向き合う日々だったけど、制作は充実していました。その時期、たまたまドイツで美術作家として活動している大学の先輩が帰省した際に、自身の札幌での個展を見てくれたのです。そうしたらすごく褒めてくれて、ドイツのギャラリーでやってみない?と紹介をしてくれました。先に展示が決まって、それならドイツで制作しちゃえば?という話になった。でもお金がない。一年過ごせるような大きな助成金に応募したけど全部落ちてしまった。という時に、コンペで大賞をもらって、その副賞の個展で作品をすごく売ってもらえたのです。そのお金で渡航しました。当時は未婚でしたが今の配偶者に、一年で帰るから!と荷物とか預かってもらったりして。配偶者にはその頃からずっと助けてもらっていますね。やばい時はついリボ払いで画材買っていて、これ以上リボ払いはやめて!って言われて、そのぶんお金ちょっと借りたこともあったし(笑)、僕の非社会的な面を陰で補正してくれており、制作経費の整理とか、作品制作も手伝ってもらっているので、二人三脚なところもあります。

Photo:Naoki Wagatsuma

 

留学ではなくアーティストインレジデンスで1年ベルリンに滞在しました。レジデンスの費用と制作費と旅費でまたしてもハンブルクでの個展直前にほぼお金を使い切っちゃったのですが、これまた個展で作品をたくさん売ってもらえて、ギリギリなんとかなりました。あの時期はずっと綱渡りだったし、今もですが常に誰かに助けてもらっていますね。運がいいとも言える。でも、運が発動するための行動は、可能な限り積み上げているつもりです。

ベルリン時代は制作にもたくさん集中したけど、欧州とアメリカ東側の美術館、博物館、教会、国際展、ギャラリー、アートフェア、など古典から現代まで可能な限り見て周りました。ギャラリストに、そんなに見に行って個展の制作は大丈夫なの!?と心配されるくらい。でもそれまでほぼ読み物での知識だけだった西洋美術史を、かなりの数を実物で咀嚼できたことは、必要な経験だったと思います。それと、いろんな国のアーティストと交流して、その生き方を間近で体感できた。作品の良し悪し以前に、肝の据わり方とか、自己主張の具合とか、非英語圏のアーティストも基本英語が当たり前とか、アーティストとしての自覚の持ちよう、アーティストという生き方が分かった気がします。札幌だけで活動しているとなかなか分からなかったことかもしれません。英語はドイツに一年住んだくらいでは身についたとは言いづらいですが、簡単な会話ができるようになっただけでもいろいろ変わりました。

Mikiko Sato Gallery(ハンブルク)での個展展示風景、2012年          Photo:Roberto Kai Hegeler

 

Q:アーティストにとってスタジオを確保することは結構難しいことだと思いますが、ドイツから帰国されてから札幌の共同スタジオnaebono art studioを運営されています。その経緯やスタジオの活動について伺えますか?

帰国したあとは知合いの紹介で、古い卸業者群の倉庫センターの12畳くらいの一室を借りてスタジオにしていました。その時期、札幌のオルタナティブアートスクールで講師をした際、自分のスタジオビジットを授業にしたのです。その授業に参加していた方の1人が、不動産会社の方でした。会社でちょっと変わった物件を扱っている担当だったらしくて、そういう物件を何かクリエイティブなことに活用できないかという動機でスクールに来られました。スタジオビジットでは、「アーティストってこういう古くて割と自由の効く、音を出せて天井の高い物件をいつも探していて、ここも手狭になってきている」、みたいなことを話したと思うのですが、一年後くらいにその方から突然電話がきました。「山本さん、アーティストが使えそうな倉庫があるのですけど見学しませんか」と。見に行ったら、1人じゃ借りられないほど大きい倉庫でした。すぐアーティスト仲間で興味を持ちそうなメンバーに連絡して見てもらったら、口を揃えて、「こんな物件もう見つからない、ここならすごく良い制作環境が作れそうだ、可能性しかない!」と。皆この倉庫に魅了されて、一緒に   naebono art studio を作りました。札幌を拠点にしている中堅アーティストを軸としていて、紹介してくれた不動産屋さんも個人事務所兼スタジオ管理人もやってくれています。年に2回ほど一般開放するオープンスタジオをやっており、できる範囲でイベントや展示などもやっています。何よりまずそれぞれの入居者が、作品を作りやすいような環境を整えることを大事にしています。

Photo:Naoki Wagatsuma

 

Q:山本さんは第30回ホルベインスカラシップ奨学生に選ばれていますが、応募された理由と、奨学生になった後の変化について、改めて伺いたいのですが。

学生時代から憧れのスカラシップだったので。国内で画家活動するならいつかは受けてみたい制度で、何回も応募していました。だから選ばれた時はものすごく嬉しかったです。

奨学生になってからは、材料に対しての意識が変わりましたし、何よりホルベインさんとの距離が縮まりました。工場見学させていただいたのですが、ガチの実験工場で科学者が研究しているという印象で、超専門家の世界に感激しました。画材の耐久性などの相談や、今は特注のメディウムを作ってもらっており、困った時に頼れる心強さがあります。

Q:ホルベインの絵具とともに、ゴールデンアクリリックスも併せてお使いいただいておりますが、お使いいただいている理由をお教えいただけますか?

Photo:Naoki Wagatsuma

 

元々ゴールデンの絵具も多用していて、メインで使用していたセミグロスのメディウムの使い勝手がよかったのですが、一度国内販売が止まってしまって。それをきっかけにさらにチューニングしたメディウムをホルベインさんに作ってもらうことになりました。

ゴールデンは、メディウム類が多いのが魅力的ですよね。GACシリーズのラインナップも国内で手軽に手に入るようになったので試してみたいです。あとは、ゴールデンならではの色が結構あって。いくつか例を挙げれば、まず、コバルトテール。この色って不思議なポジションだと感じます。色相環のシアンとイエローの間に位置しているように見えるけど変に浮いていて、彩度も明度も高めで、特殊な純色という感じがする。デジタル環境で言えば、R0,G255,B255あたりの色、グリーンとブルーの間の色の領域になるのですが、絵具よりも広く鮮やかに感じます。その鮮やかな発色を絵具の色に置き換えるのが結構難しくて、そういう時にコバルトテールのゴールデンらしい彩度が欠かせないです。あとはセルリアンブルーディープ。これも、色相環の属性からはちょっとズレたような独特の彩度と明度を持っていますね。一見暗く濁って見えつつ何故か彩度が高く感じるという、純色っぽくも中間色っぽくもない不思議な存在です。できるだけどの色も公平に使おうと心がけてはいるのですが、これらのチューブは混色も含めて登場頻度が高い傾向があります。

Q:これからアーティストを目指そうとしている若い方たちに、プロとしてご活躍されている先輩として、何か良いアドバイスがありましたらお願いしたいのですが。

アドバイスというよりは、僕のことになりますが。「たくさん作ってください。続けてください。」と、昔先輩から言われて。今も重く、シンプルかつ難しいことだな、最初のハードルだったな、と思います。僕が考えるプロのアーティストというのは、ファインアートの領域では作品が売れるとかそういうことではない。まずは制作が人生に必要だと自覚していて、社会に向けて発表していればプロと言えると思っています。だからプロだけど酷い作品っていう場合もあるかもしれませんが(笑)、その次に質や専門性に向き合っているかどうかかなと。

制作に加えて、僕はセンスで絵が描けるタイプではなかったので、その分、歴史に残るような美術作品にはいったい何があるのかを、できるだけ実物を鑑賞した上で、時代背景や作者の状況と一緒に繰り返し分析するようにしてきました。それによって自分の好みや判断が独りよがりにならないように意識したり、自身の良し悪しの基準が変化していったりする感覚に敏感でいようと心がけています。溜まった知見をケーススタディにして、良い作品を生み出すには何が足りなくて何が必要なのか、作ることと見ることを掛け合わせながらいつも考えています。あとは信頼できる人もたくさんいるけれど、それを上回る信頼できない人がゴロゴロいる世界なので、時に断る力も必要だし、人やその背景を調べて、一緒になにかやりたい人に出会う機会を得ようと動くことも大事だと思います。

Photo:Naoki Wagatsuma

 

Q:山本さんにとってアートとは何でしょうか?

切実に不可解なもの、ゆえに自分が生きるために必要なこと。

どんなに手応えがある作品ができたり、他者の作品を理解できたような気になっても、取りこぼしている大きな何かが残っているようにいつも感じます。人が生み出せる、分かり得ない領域というか。良い作品はどれだけ言葉にしてもそれを超える力を持っている。だからこそ面白いし、向き合い続けたいのだと思います。

Photo:Naoki Wagatsuma

 

山本 雄基

 

1981年北海道帯広市生まれ。2007年北海道教育大学大学院修了。現在札幌市在住。重層的な透明層のなかで、色の円と色をくり抜かれた円を複雑に交錯させた抽象絵画を描く。

2010年、第5回大黒屋現代アート公募展(板室温泉大黒屋)で大賞を受賞。2015年、第30回ホルベインスカラシップ奨学生。主な展覧会に、個展「Yuki Yamamoto」(Mikiko Sato Gallery、ハンブルク、2022)、「山本雄基展」(板室温泉大黒屋、栃木、2022)、グループ展「Under Current」(Powerlong Museum、上海、2022)、「-Endless- 山本雄基, 牧田愛, 木下令子 」( Tokyo International Gallery、東京、2021)「Flatten Image-山本雄基・浦川大志展-」(ギャラリー門馬、札幌、2019)、「VOCA展2014」(上野の森美術館、東京)、道東アートファイル2013(帯広美術館、北海道)など。

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