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2023.04.11

アーティスト紹介

Golden アーティストインタビュー Vol.4 CHRIS

父はアメリカ人で母は日本人。アメリカ生まれの日本育ち。子供のころ、ハーフである自分に注目が集まることが嫌で、自分をカモフラージュするように身にまとえるファッションが好きになった。かっこいい服を着ていると、皆、自分ではなく着ている服に注目してくれた。

大手企業でeコマースやファッションブランドの立ち上げを経験したのちにアーティストになった。現代アートの本場アメリカに渡ると、アートはもっと自分をさらけ出さすものだと気がついた。カモフラージュしてきた自分をさらけ出すことで、新たな表現が生まれた。アメリカと日本のはざまで生きてきた経験が、作品として評価された。

その穏やかな笑顔の裏には、つらい経験や夢を実現する人一倍の努力が隠されていた。そこに、アーティストの素顔を垣間見た。

アートフェア東京2023での展示「FIST OF BASEBALL」シリーズ

個展「FIST OF BASEBALL」 yukikomizutani 2022年

個展「FIST OF BASEBALL」 yukikomizutani 2022年

個展「FIST OF BASEBALL」 yukikomizutani 2022年

日本ハムファイターズの「tower eleven hotel」内の作品 2023年

日本ハムファイターズの新球場「エスコンフィールド」内  『Cheering』 2023年  3040mm x 2152mm  キャンバスの上にアクリル

 

Q:どのような環境で育たれてアーティストになったのかをお聞きしたいのですが、ご両親のことや子供のころ、学生時代のころのお話しを伺えますか?

生まれて3歳まではアメリカで、それ以降は日本で育ちました。妹はアメリカの学校に通ったのですが、僕はどっぷり日本の教育で育ちました。

日本の保育園に入園した際、言葉がうまくできなかったこともあったのか、友達とのコミュニケーションが取れずに一人でよく泣いていたことがあったようです。

ただ、絵を描くのはすごく上手といわれていて、縄跳びの絵を描くときに、皆は自分一人が飛んでいるところを描くのですが、僕は自分を中心に周りにも友達が飛んでいるところもたくさん描いて、それをとても褒められた記憶があります。

そんな時母親が、「お兄ちゃんは絵の才能があるから、将来芸術家さんになれるね!」と、絵のことをすごく褒めて伸ばしてくれました。そうした原体験があったのかなと思います。

学校ではよく授業中に漫画を描いて、クラスのみんなに見てもらったりしていました。それと同時に野球を始めたら、野球のほうがそれはそれで人よりは上手いと感じていて、なんとなくプロ野球選手になりたい夢がぼんやりあって・・・。絵描きでは食べていけないなという思いもあって(笑)

プロ野球選手になって、50億円稼いでメジャーリーガーになりたい!とずっと言っていました。でもそれが、後々野球を挫折して、将来をどうしていこうという不安があったときに、まさかもう1つの夢だった絵描きになる夢が出てくるというか、自分を振り返ったときに、そういえば自分には絵があったな、ということですね。

僕は入学式が大嫌いで・・・。入学式に行くとクラス発表の紙に一人だけカタカナの名前がある。「クリスって奴がいる。」と指さされるのですよ。「あ、外人だ!」とか。日本人として育っているのに、それがすごく嫌でした。常にそういう人たちに、「いや大丈夫だよ、俺はただのガイジンだぜ」って。ピエロを演じる訳じゃないけど、自分から笑いに変えて説明しなければならないのが結構苦痛で。

常に二人の自分がいるというか、アメリカ人と日本人のアイデンティティの部分というか、活発な自分と絵を描いていたい自分と、常に行き来しながら育ちました。

Q:クリスさんは新卒で入社された大手企業でeコマースやファッションブランドを立ち上げられましたが、ファッションとの出会いはどのようなものだったのですか?

中学生の終わりぐらいの時に、当時裏原宿といわれるファッションカルチャーに出会って。そういう服を身にまとっていると、僕の容姿じゃなくて、あ、そのブランドいいよね、俺も着ているとか。僕を一人の人間として初対面でも受け入れてくれるという経験をしました。ファッションってすごくいいなと思って、野球を挫折してからはどちらかというとファッションにのめりこんでいきました。

Q:中央大学をご卒業後に大手企業にお勤めになられますが、その会社でどのようなお仕事をされていたのですか?

大学3年の就活の時に、内定をもらった会社が<ファッション×インターネット>のビジネスをちょうど立ち上げるタイミングで「やってみないか?」ということになり、そこでアパレルの二次流通事業の会社の立ち上げに携わりました。今は「ZOZOUSED」という形で残っていますが、要は中古の服を扱う会社です。

服を買い取り、売ってもらった服を採寸してアイロンをかけて撮影して販売するという地道な作業でした。なのですが、作ったばかりのそうしたサイトは誰も知らないので、誰も服を売ってくれなくて。笑っていいとも!のテレフォンショッキングのような企画もしました。知り合いのスタイリストさんやショップ店員さんにインタビューをお願いして、サイト用にいらない服を出していただく企画をやって、その人にまたどなたかファッション好きな人を紹介してもらったりして。結局300人くらいご協力いただきました、今ではかけがえのない人脈になりました。

Q:そこを退職されて武蔵野美術大学に進学されました。一念発起されて美術の道に進まれた経緯についてお話しいただけますでしょうか?

先ほどの会社をやっているときに自身のブランドを立ち上げる機会をもらいました。ご縁があって1度だけパリのコレクションに参加させてもらえる機会がありました。しかし、まだ若かった僕は浮かれ気分で参加したことで、先輩のデザイナーさんにものすごく怒られました。またデザイン部分について「会社員を言い訳にせずもっとデザインを勉強しろ」と叱られてしまいました。パリから帰国してすぐ、もっとデザインの勉強をしなくてはと焦って探しました。服作りは、パタンナーさん、デザイナーさん、工場といろんな人がいて、上がってきたサンプルを一つ修正するだけでもいろいろな調整が発生します。その時に絵だったらすべて自分で直せるということ、もともと絵を描くのが好きだということがきっかけで、会社に通いながら学べる通信教育課程があった武蔵野美術大学の油絵学科に入学しました。

Q:会社の仕事をしながら美大を卒業するのは大変じゃなかったですか?

会社員をやりながら、しかも美術の教員免許も取ったので大変でした。とても不純な動機なのですが、美術の教師になれば給料ももらえて、美術室がアトリエに使えると考えました。それで美大に入学する前に大学の教務の人に、働きながら教員免許も取得するとなると、卒業するまで7年はかかりますよと言われたのですが、最短で卒業したかったので僕は頑張って3年半で2度目の大学卒業をしました。

Q:仕事もしながらだと、いつ勉強したのですか?

会社に始発の電車で行って、会議室で始業まで勉強して、たいてい終電まで仕事をしていたので3時間睡眠でやるしかないなと。めちゃめちゃ大変でしたけど、若かったからできたのだと思います(笑)。ちょうど子供も生まれて、会社では2つの子会社の仕事をこなして、妻も子供服の会社を起業したのでその裏方の仕事もして、学校の勉強もしたので、その頃、20代は、ゆとりが全くなくて奥さんともよくケンカをしたし、思い出したくもないくらい本当に大変な日々でした(苦笑)

Q:美大をご卒業されたあと、どのような経緯でアーティストになられていくわけですか?

教育実習に行ったときに愕然としました。すごく一生懸命にやっている先生方の中で、僕は不純な動機でこの世界に来たなと・・・。あとは、良くも悪くも、仕事の合理性というか、考え方にかなり隔たりがあって、僕には合わないとわかりました。

ちょうど会社で、僕が運営していた子会社2社を売却するタイミングもあり、会社を辞めて教師をしながら絵に専念しようかなと思っていたのですが、教師もダメとなるとこの先どうしようとなったときに、妻が、現代アートをやりたいなら本場のアメリカに行くべきでしょと言ってくれたので、僕の生まれ育ったサンフランシスコに移りました。とはいえ絵が売れてるわけでもなく家族を養わないといけないので、はじめは僕だけで渡米して、会社員時代に培った経験を生かして仕事をしながら、生活の基盤を半年ほどで作り、そのあとに家族も呼び寄せました。

Q:アメリカでアーティストを目指して生きていくわけですが、どのようにして作品を発表したり販売していったのですか?

アメリカで売っているART雑誌が年に1回、全米のギャラリーリストを発表しているのですが、そのリストを見ながら、カリフォルニアで僕に合いそうなギャラリーを400件ほどリストアップして、空いた時間にプレゼンしに行きました。しかし全部門前払い。1件だけ大きなギャラリーのオーナーが、僕の作品に興味を持っていると言われて、飛行機で会いに行ったのですが3回もドタキャンされて。ああ、これはもうだめかもなあ、絵では食べてはいけないなと思い、人生のどん底を見ました。だから、最初の一人暮らしをしていた半年間は、絵もまともに描けなくなっていました。

アメリカにいるとき、新しいことにも挑戦しようと古いアメリカンコミックを買って、実験的にキャンバスに貼ってみることをやっていました。たまたまそんなときに、将来の不安から無意識にその紙を破ったとき、アメリカンコミックの破れ目がすごくかっこよく見えて・・・。90年代のヴィンテージブームを通ってきていることもあって、その紙の破れ目が、古着のデニムの「味」と重なるところがあって、ああなんかこの破れ目かっこいいなと感じました。

アメリカに来ると、僕が普通の人として扱われました。日本にいるときは、「えっ、外人なの?」とか、「クリスって何人なの?」とか、皆が聞いてくるのが当たり前だったのですが、向こうにいると移民の国なので、むしろ僕みたいなのしかいないから普通に扱われる。そうなったときに、実は日本人としての僕が、僕のアイデンティティなのだと気付きました。

日本では自分を隠そうと、カモフラージュしていた部分があったのですが、アメリカでは人と容姿が違うことが普通なので、さらけ出すことが苦にならなくなってきました。隠そうとか、オープンにするとかってやっていることが、『カモフラージュ』というコンセプトの気づきになり、貼った紙を剥がす、デコラージュの作品スタイルにたどり着きました。そういうことをやっていたら興味を持ってくれるギャラリーが少しずつ出てきて、2年ほど住んでいる間に展示や販売の機会も少しずつ増えていきました。挫折は多かったのですが、『カモフラージュ』のコンセプトをもらったというか、自分の根っこにある部分をさらけ出すことで表現するのが現代アートなのだ、と気づかせてくれましたね。

NYでの個展 「camouflage」シリーズ 2015年

 

Q:日本に帰ってからはどのように活動をされてきたのですか?

日本に帰ってからは、自分を知ることからというか、過去から未来を生み出すというか、自分が経験してきたカルチャー(ファッションンの文脈や、ゲーム、漫画、おもちゃなど)を収集して、そうして知ったことをアウトプットして絵にする方向にシフトしていきました。当時買ったおもちゃを調べるとライバルのキャラがいたり、知らなかったことが補完されていき、さらに知識と世界が広がっていきました。

自分の好きなこと、結構オタクっぽい自分を作品にしていくようになってから、いろいろなオファーが勝手に入るようになりました。1回展示をやると、そこで知り合う人が次の展示をやるきっかけになって、少しずつ階段をのぼって今に至るという感じです。

Q:ゴールデンを使い始めるきっかけをおしえていただけますか?

日本にいた頃は、絵具メーカーとかあまり気にしてなくて、色が好きだからこれ、という感じで選んでいました。アメリカに移ってからは売っている画材の環境が全く変わって、今までの制作ができなくなったときに、ゴールデンとホルベインがアメリカでも売っていて、日本で使い慣れている絵具があることがすごく助かりました。メインで使っているのはゴールデンのヘビィボディですが、フルイドも使っていた時期がありました。CEOのマーク・ゴールデンさんともお会いしたことがあります。マークさんに混色の悩みを相談したら、「ゴールデンには混色サイトがあるのだよ。」と教えてもらい、いまだに愛用しています。

Q:これからどのような作品を発表していこうと考えられていますか?

ある時、いつも使っていたデコラージュ用のメディウムが販売中止になりました。今後の制作をどうしていこうという時に、コラージュの方法を変えてみようと、現在のコラージュではなくペイントの制作にシフトしました。今のスタイルは、ベースボールカードのようなトレーディングカードの絵を描いています。

実は4、5年くらい前から構想があって、主人公はこの子で、架空の女子チームが30球団くらいあって・・・という妄想をずっとしていて、でも、一個の個展とかグループ展では、その世界観を発表するには狭すぎるなと思っていました。2年前にNFTのオファーを8社くらいからもらいました。最終的にはグローバルに発表できるチームと組むことになったのですが、1500点もの作品をジェネレイティブではなく、1点1点全部手描で描きました。これだけの点数が必要になったときに、自分がこれまで構想していた物語が作れるなと思いました。

また、NFTと並行して去年は大きな個展もやらせていただきました。年末年始には日本ハムファイターズの新球場「エスコンフィールド」で絵を描く機会もいただきました。プロ野球選手にはなれませんでしたが、自分の将来の夢だったプロ野球選手と漫画家になるという子供のころの夢を今は違う形で実現できていることが嬉しいです。

アートフェア東京2023での展示作品 「FIST OF BASEBALL」シリーズ

 

Q:クリスさんにとってアートとはどのようなものですか?

アートっていう言葉はすごく便利な言葉ですよね(笑)僕にとってアートというのは、自分自身を体現しているもの。過去の自分を掘り下げて、自分の根底からくるアイデンティティは何なのか、自分自身の生き様を隠さずさらけ出す行為だと思っています。最近ではさらけ出しすぎて家族とのプライベートな一面もYouTubeで公開していたりします(YouTubeチャンネル「ネルソンさん」、チャンネル登録者数16.5万人 / 2023年3月現在)。これからもオープンに自分らしくやっていこうと思います。ご視聴ありがとうございました!

CHRIS

■略歴

サンフランシスコ生まれ、東京育ち。自身がコレクションする膨大なアーカイブ(90年代のゲーム、漫画、ファッション誌、カード、シール等)の中から作家独自の世界観でミックスし、作品へと昇華する。2022年よりトレーディングカードをモチーフにした「FIST OF BASEBALL」のシリーズを発表。2023年にオープンした日本ハムファイターズの新球場「エスコンフィールドHOKKAIDO」に高さ3mを超える大型作品の所蔵。「アートフェア東京(日本)」、「KIAF(韓国)」、「Untitled(アメリカ)」など国内外で活動、現在に至る。

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