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2023.01.17

アーティスト紹介

Golden アーティストインタビュー Vol.3 黒尾 宏光

団塊ジュニアで就職氷河期世代。学生時代から抽象画を描き、アメリカ抽象表現主義のアーティストに憧れた。生きづらい日本から飛び出し、夢を追ってニューヨークでアーティストになった。

海外でアーティストとして生き抜くため、キャンバスを折り紙のように織り込んで描くFolded painting シリーズを発表し、日本人の独自性を打ち出した。

パンデミック最中のニューヨークでは、画材が手に入らなくなると家庭用の漂白剤でキャンバス生地を脱色し、コラージュして描くBleach painting シリーズを発表。

困難な状況を次々とアートの力に変えてきた黒尾宏光さんの表現と、ニューヨークでの作家活動に迫りたい。

 

『 #201 』    2012年  345cm x 324cm  Acrylic on Folded Canvas  展示場所 : Brooklyn のスタジオにて

『 SYURIKEN #255 』   2017年  276cm x 270cm  Acrylic on Folded Canvas  展示場所 : Resobox Gallery, Queens NY

 

『 SYURIKEN #255 』   2017年  276cm x 270cm  Acrylic on Folded Canvas  展示場所 : Resobox Gallery, Queens NY

『 SYURIKEN 3 #257 』    2017年  58cm x 64cm each  Acrylic on Folded canvas

 

『 28 Paper Works 』  2017年   28cm x 21cm each  Acrylic on Folded Paper

 

『 Bleach Painting 2022 』   2022年  63cm x 84cm  Bleach、Acrylic on Linen canvas

 

『 Bleach Painting 2022 』     2022年  60cm x 45cm    Bleach、Acrylic on Linen canvas

 

Q:まずは黒尾さんの作品について、黒尾さんの作品には2つのシリーズがありますが、それらのシリーズが生まれた経緯や、それぞれの作品についてお話しいただけますか?

 

一つ目のプロジェクト「Folded Painting」は、2006年から続けています。様式はキャンバスを折り紙のように折り畳み、コラージュしていく半立体的な作品です。

渡米してしばらく経つと、いろいろな国から来ている沢山のアーティストたちと友達になりました。その中で自分のアートの特性を強く出すために、日本人としてのナショナリズムを絡めたいと思い始めました。

「Bleach painting」は2019年からスタートしました。NYの街中でCovid-19の感染が広まり、外出禁止の不自由な生活の中でアート制作を続けるという意味で、身の回りの日用品を代用して作ることがコンセプトです。作品はリネンキャンバスに漂白剤を使い描いていく方法で作られていて、同時にインディアンの壁画の影響を受けています。以前、アメリカ西部のユタ州やコロラド州にキャンプに行った時に、インディアンの壁画を沢山見ました。当時、強い日差しと夜間の動物などを恐れながら、不自由な生活の中で描かれたプリミティブな表現が、数年前のパンデミックの時期に当てはまる感じがします。

Bleach painting 2019

『 Bleach painting 2019 』  2019年  17cm x 12cm  Bleach、Acrylic on Linen canvas

 

 

Q:プロのアーティストの方がどのようなきっかけで絵を始めたかを伺いたいのですが、黒尾さんが絵を始めたきっかけを伺えますか?

 

子供のころは体を動かす方が好きだったので、絵を描くのは、友達と一緒に学校の休み時間に少年漫画を模写したりするぐらいでした。ただ、色に初めて興味を持った思い出があります。小学校高学年の時に、地元のスカーフ染物工場に社会見学に行った時の事です。当時、横浜の大岡川の川沿いに小さい捺染工場があり、体験学習でハンカチに筆で赤色を塗った時、色の美しさを強く感じ、興味を持ったことを今でも覚えています。

 

Q:黒尾さんは東北芸術工科大学の一期生で、大学院に進学され、その後は助手をされていたとのことですが、学生時代や助手をされていたころはどのような作品を描いていましたか?

 

学生時代は課題に沿った人物画や静物画を油彩で描いていました。特に人物画が好きで、人体のフォルムと抽象的な色面を混ぜた作品を作っていました。当時大学は開校したばかりで、一からカリキュラムや演習を作っていた創設期でした。しかし学生と教職員の距離が近く、今でも遊びに行くと、まだ覚えてくれている先生や事務員さんがいるので、一期生でよかったと深く思います。大学院になると、コラージュやアクリル絵具を使い始め、大きな作品を中心に作っていました。助手のころは映画のポスター等をコラージュした抽象画を描いていました。ポスターを貼ったり剝がしたりしながら出来る偶然を捉えて作る手法です。この時の仕事を通して、大学の先生方や非常勤の先生と深く接することが出来て、アーティストとして多くの事を教えてもらいました。東北という場所柄、ゆっくりとした時間やスペースの中で、のびのび制作できたと思います。

卒業制作 1996年

大学院修了制作 1998年

 

Q:渡米されたきっかけを伺えますか?

渡米を考え始めたのは大学院一年生の時です。その時にNYに2週間程旅行に行きました。丁度、演劇を大学で教えている親戚がいたのでお世話になり、現地の劇団のダンサーや歌手、美術大学の先生や学生さんたちのような、クリエイティブな仕事の人たちを沢山紹介してもらい強く印象に残りました。またその時はブルックリンがアートの新しい発信地になっており、倉庫や空き家を改造したスタジオやギャラリーが沢山ありました。そのように、やりたいことを真っ先に始められるNYの環境はすごく刺激的であり、国籍、年齢、仕事、学歴など関係なく、各自の表現を自由に追求しているのを見て、将来アメリカで制作しようと決めました。当初は1年半の短期滞在予定だったのですが、徐々に展覧会等が決まり、結局18年滞在しました。

ニューヨーク ブルックリンのアトリエ入口

ニューヨーク ブルックリンのアトリエ

ニューヨーク ブルックリンのアトリエ

 

Q:まだ英語もままならない状況で渡米されたとのことでしたが、どのようにして語学を習得され、アーティストとして生きてこられたのか、生活費や住まいなどもどうされていたのか興味があるのですが、お話を伺えますか?

 

渡米当初は学生ビザで行きましたので、はじめの半年ほどは語学学校に通い英語を勉強しました。ブルックリン郊外にあるロシア人が経営していた学校で、先生もロシア語なまりのある面白い場所でした。学生ビザは4年間有効でしたので、その後美術学校へ転校して、その中で英語でのコミュニケーション能力がついたと思います。

移民法律上、学生ビザの4年間は仕事が出来ないので、以前からの貯金を使い生活をしていました。学費はクラスの助手をしていたので全額免除でした。その後、アーティストビザを取得し、美術館のツアーガイドや美術学校の非常勤講師、額縁屋さんでも仕事をしていました。また、アメリカではアーティストに対して経済的に援助してくれる財団がたくさんあり、僕はポロック・クラズナー財団(ジャクソン ポロックの妻、リー クラズナーが設立した財団)や、ゴッドリーブ財団(アドルフ ゴッドリーブ 抽象表現主義の第一世代のアーティストの財団)から助成金をもらいました。住まいについては皆さんも知っている通りNYの家賃はすごく高いです。これもラッキーだったのですが、2010年に転居したアパートの大家さんがすごくいい方で、ずっと家賃も上がらず、入居した時と同じ家賃で安くアパートを借りられました。

 

Q:アメリカでのアーティスト活動について、アメリカでアーティストとして生きていくということはどういうことなのか、具体的にはどのように作品を販売しているのか、画商さんとの付き合い方などを伺えますか?

Gallery 128 NYでの展示風景 2012年

 

アメリカ、特にNYは沢山のアーティストが滞在制作しています。昔、日本の芸能人の方がNYを例えていたのですが、「NYでは、自分のやりたい事がうまくいっている時は、皆より数段進んでいるように見えるが、調子が悪い時は、皆より周回遅れのように感じる。」この言葉は、すごく自分の中で腑に落ちる言葉だと思います。目まぐるしく変化する環境の中で、自分流に進化していくことがNYのアーティストの特徴だと思います。

Portal to another dimension Gallery LTD Brooklyn の展示風景 2019年

 

作品の売買ですが、アメリカの方が売りやすいと思います。それは単純に欧米の方がアートを買う習慣があり、新しい家への引っ越し、家族の記念日や誕生日など、いろいろな用途で作品を購入します。また、公共施設(駅や病院等)が作品依頼を積極的に行っており、若手アーティストが作品を発表するチャンスが多いです。

ほとんどのアーティストは住居とは別にスタジオを持っています。スタジオの役割は、制作、作品の保管、ギャラリストやコレクターへのプレゼンテーション、年に数回オープンスタジオを実施し、新しい顧客やコネクションを掴む場所になります。昨年まで僕も住居とスタジオ2か所借りていて、毎月の家賃がすごく大変でした。

また、欧米のアーティストの方は、上手にホームページやSNSを積極的に利用しながら作品を発表しています。特にコロナ禍以降は、お客さんがギャラリーに足を運ぶことが少なくなったので、オンラインでの作品売買が増えています。

NYでの画商さんとの付き合い方ですが、僕の場合、オープンスタジオやSNSを通して知り合いました。日本も同じだと思いますが、契約書を必ず交わします。売上の取り分から値下げ幅、運送費や作品への保険など事細かく書かれたものです。中には作品を購入するか迷っているお客さんへレンタルを許可する事項等、アーティストにとって不利になる事も多く書かれていることがあるので気を付けていました。

僕の場合は今までお付き合いした画商さんはよいパートナーばかりでしたので、安心してビジネスをまかせられました。

ニューヨーク ブルックリンのアトリエ

ニューヨーク ブルックリンのアトリエ

グループ展 Art Students league of NYの展示風景   2010年

個展 “Kan no Mado” Tenri Gallery NY にて 2012年

個展 “Kan no Mado” Tenri Gallery NY にて 2012年

グループ展 Caelam Galleryにて 2014年

グループ展 WAH center Brooklynにて 2018年

 

Q:2012年からスタートした、ゴールデンのアーティストインレジデンスに日本人で初めて入居し制作されましたが、応募された理由や応募条件、レジデンスでの様子をお話しいただけますか?

 

レジデンスに行ったのは2019年の4月でした。応募理由は、純粋に、レジデンス期間中はゴールデンの画材が無制限に使えるということでした。毎年18名のアーティストが選ばれ、3人ずつ1か月の滞在になります。僕の時は300名強の応募から選ばれたと思います。場所はNY州の北部にあり、NYCからだと電車で6時間ぐらいかかります。大自然の中で、近隣にはアーミッシュのコミュニティーがあります。滞在中は車が不可欠な場所です。レジデンスでの始めの2週間は、毎日数時間、ゴールデンの工場に行きレクチャーを受けます。アクリル、油絵具、メディウム技法、エアスプレーの使用法から作品の保護、梱包の仕方まで受講します。

毎回滞在者が3名なので、晩御飯を作ってみんなで食べたり、一緒にスーパーに買い出しに行ったり楽しい思い出ばかりでした。時々近くの美術大学の学生や、他のアーティストインレジデンスのアーティストが見学に来ます。

ゴールデンの工場見学ですごく思い出に残っているのは、小さな小部屋で、絵具チューブの紙ラベルに、女性が手作業で色を塗っている作業風景です。昔、ゴールデンがまだ小さい会社だった頃、絵具チューブに貼るラベルをカラー印刷するお金が無かったそうです。そのため、白黒で印刷したラベルに、1枚ずつ手作業で色を塗っていたそうで、今でもその伝統を守っているそうです。

ゴールデンアーチストインレジデンスの外観。ニューヨーク州ニューベルリンにあるゴールデン社の敷地内にある。

ゴールデンアーチストインレジデンスでの制作風景

レジデンスに入居中は、すべてのゴールデン製品が使用できる

ゴールデンアーチストインレジデンスでの制作風景

ゴールデンアーチストインレジデンスでの制作風景

同時期に入居していたアーティストと

 

Q:ゴールデンはアメリカのアーティストにとってどのような絵具ブランドですか?

 

ゴールデンはプロのアーティストが使うブランドだと思います。

それは、他のブランドのように、ビギナーが使うタイプのリーズナブルな絵具を作っていないことや、工場見学の時に知ったのですが、高品質な絵具を製造するために様々な工夫がされており、製品開発や製造にかかわる多くのスペシャリストが、現状に甘んじず、日夜絵具の品質向上の研究に励んでいるからです。

また、アメリカの画材屋さんはゴールデンを大きく取り扱っているところが多いので手に入りやすく、アメリカ国内でのみ絵具を作っているので、アメリカのアーティストにとっては、とても親しみやすいブランドだと思います。

僕は始めの描きだしに使う土系顔料やウルトラマリンなどは他の安いブランドを使い、仕上げに使う最後の色彩にゴールデン絵具を使っていました。その絵具のきめの細かさ、発色の良さ、メディウムの豊富さ、被覆力が特別強いブラックジェッソ、他社より練りがドライで使いやすいライトモルディングペーストなど、僕の中で制作になくてはならないものが多数あります。

 

Q:日本に帰ってこられた理由と、これからの作家活動について伺えますか?

 

帰国理由は両親の病気、コロナ禍、またビザの期間終了です。特にコロナ禍での経験が、アメリカを離れてもいいと決断した理由となりました。今までのアメリカNYの若手アーティストは、マンハッタン近郊にスタジオを構えて制作することに大きなアドバンテージがあると言われてきました。それは、画商やコレクターがアクセスしやすいことなどがあったのですが、コロナ禍になり、SNSの普及により世界中のどこからでも自分の作品を発信し、プレゼンテーションができるようになったからです。長く住んでいたNYに愛着もありましたが、僕の場合は、これからも高い家賃や生活費を払い続けてまで滞在するメリットはもうないのかなと思いました。

 

日本には帰ってきたばかりなので、これからの作家活動はまだ具体的に決まっていません。ただ、日本やNYにこだわらず、他国でも積極的に発表できる環境を作れたらと考えています。

 

Q:黒尾さんにとってアートとは何でしょうか?

 

僕にとってのアートとは、人と人を繋ぐコミュニケーションツールです。人種、性別、言語等の違いを飛び越えて、共感できる表現方法が僕のアートの定義です。

黒尾 宏光

 

1972年 神奈川県生まれ。

2003年から2021年までブルックリン NYで制作。東北芸術工科大学美術科卒業。

 

主な受賞歴に 2022年アドルフ&エスター ゴッドリーブ財団賞(NY)、2019年, 2011年 ポロック‐クラズナー財団フェローシップ(NY)、2019年ゴールデン財団AIRプログラム(NY)。

 

これまでの主な個展に2014年ミキモトNY、2009年から2007年までグロリア ケネディ ギャラリー(NY)

2006年 ブロンクス コミュニティー カレッジ(NY)、など。グループ展はNYを中心に多数。

Forbes、HYPERALLERGICなどにインタビュー記事が掲載。

現在、埼玉県入間市で制作。

https://www.instagram.com/hirokuroo/

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